2003年8月から埼玉県小川町で議員をしています。(2期目です)所属は日本共産党です。活動日誌をごらん下さい。ホームページも合わせてご覧下さい。


by y_taeko

本当によかったですね

2月10日は、たえこ通信を配り、玉川へ。
夕方、八和田地区の「学童保育を作る会」のお母さんたちがご報告に見えました。12月議会で補正予算がとおり、今年の8月末に八和田地区に学童保育ができることになったという報告です。(八和田地区の本多議員と千野議員にも同様の報告に行かれたということです)

小川町には6つの小学校があり、そのうち5つの小学校では公設民営で学童保育があります。私の住む八和田地区(八和田小学校区)には学童保育がなく、隣の小川小学校区にある学童保育「風の子クラブ」に送迎の方をお願いし10人あまりの子どもたちが通っていました。いわば「間借り」していたわけですが、独立し、いよいよ自分たちの学童保育所ができるわけです。

今から20年前、長男が学齢期に達し、放課後をどうするか悩みました。当時の小川町は「学童保育」と名のつく公設のものはなく、夫の職場があった東松山市にある学童保育所に送迎の方をお願いし1年生になった長男を通わせました。次の年に夫が熊谷市に転勤となり、小川町で3人のお母さんが自分たちでお金を出し合い学童保育を始めたという話を聞き、仲間に入れていただくことになりました。小さな、本当に今にも崩れそうな借家を借り、指導員さんをお願いし子どもたちをみていただいているところでした。それでも鍵っ子にはしたくないという必死の思いでした。

「4人の子どもたちと指導員さん1人」からスタートした「学童保育」でしたが、紆余曲折、保護者、当時の役場担当課職員の皆さん、議員の方たち、署名に取り組んで下さった多くの方たちのおかげで小川町に次々と公設民営の学童保育所ができました。
私の子どもたちの通う八和田小学校では、アンケートをとっても学童保育を必要としている家庭は我が家だけで、子どもたちは小川小学校区の学童保育「風の子」に通いました。八和田小学校区で同じ思いを持つお母さんたちを丹念に探し運動していれば、もしかすると八和田地区にも早い時期に学童保育ができたかも知れません。でも当時は自分の子どもをどうするのかで精一杯でとにかく同じ思いを持ち一緒に運動できる、小川小学校区のお母さんたちと学童保育をつくることで精一杯でした。
「八和田小学校に学童保育を作る運動をしなかった。」という未消化な後ろめたい思いがずっとありました。

議員になって間もなくのこと、小川小学校区の学童が満杯で、増設をしてほしいとの声があがりました。お母さんたちが運動し議会でも取り上げられ増設されましたがそれでも70人を超す状態で、スペースが十分ではありません。間借り状態の八和田の子どもたちに、いっそのこと八和田地区にも学童保育を作ろうとお母さんたちが立ち上がり、それはそれは大変なご苦労をされてこの9月に開設の運びとなったわけです。
学童保育を作ることに決まってからは、場所探し、区長さんたちを回り協力のお願い、署名活動、役場担当課に要請とそれはそれは精力的に走り回られました。地域の協力もあり署名は5000筆を超えました。

今回ご報告に見えたお母さんたちも、お1人は子どもさんは、学童卒業、もうお1人は子どもさんが小学校5年生。新しい学童ができても通うのはわずかです。ご自分たちのお子さんは通えなくてもみんなのためになったと本当に喜んでいらっしゃいました。運動したことで役場が動き、自分たちの手で自分たちが必要とする学童保育所ができるという感動はひとしおと思います。私ができなかったことを成し遂げたお母さんたちのパワーに本当に頭が下がります。ほんの少しでもお手伝いができたことが自分への免罪符です。よかったなと心から思いました。
開所式にはぜひ行かせていただきますね。
by y_taeko | 2006-02-12 23:53 | エッセー